**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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遊侠

今年は阿佐田哲也が他界して20年の節目にあたる。
関係筋では様々なイベントが企画されているようだ。

私は阿佐田哲也の作品を好んで読んでいたというだけで、
面識はおろか邂逅の縁さえも無かった埒外の人間だが、
その著作物を通して受けた影響は計り知れないと思っている。
私の場合は麻雀の戦術や方法論を著した技術的な作品よりも、
むしろギャンブル小説やエッセイの行間に織り込まれている
バクチをする人間の情動と哀愁のエッセンスに魅かれていた。

ギャンブルを題材にした作品からペーソスを除いてしまえば、
あとは御伽噺しか残らないだろうと思う。
御伽噺は人間の夢や希望なのか…。

パンドラの箱に残されたものとは…。

一寸先のことは人間には判らない。
やはり箱の中に残されたのは「予兆」なのかも知れない。
未来は神のみぞ知る…ということだろう。
放蕩無頼の人生の大半をバクチの考察に費やしたという、
阿佐田哲也の結論もとどのつまりはそこに行き着く。



不勉強な形ばかりの阿佐田哲也ファンだった私は、
以前から疑問に思っていたことがあった。
終焉の地、岩手県の一関市との関わりだ。

実は、先生が他界して五年後の1994年の一時期、
私は一関市に事務所を構えて移り住んでいたことがあるのだ。
一年近い滞在で飲み屋街には馴染みの店までできていたのだが、
日々仕事に追われて飛び回るような生活を送っていたので、
そこが阿佐田哲也の終焉の地だとは知らずに過ごしていたのだ。
知っていれば生活の痕跡を辿る位のことはしていたと思うが、
事実を知って驚いたのは一関を離れて数年後のことだった。
そして、独り、首を傾げた。
彼が無類の引越し魔だったという話は何かで読んでいたが、
それにしても東京を離れてなぜ一関市などに移り住んだのか、
それなりの理由があるのだろうが私には見当もつかなかった。
阿佐田哲也の資料を漁ればすぐに解けた疑問かも知れないが、
当時は日本中を飛び回る生活でネットにも無縁の環境だったので、
無精者にそこまで調べる意欲は湧かなかった。

それから十年後。2005年の年の暮れだったと思う――。
正月の行事にしていた新宿での麻雀三昧を実践するために、
私は仙台から東京行きの新幹線に乗り込んでいた。
そして、旅客の暇潰しために各席に無料配布されている
JRの広報誌「トランヴェール」のページを捲っていた。
滅多に読まないのだが、温泉の特集に気を惹かれたからだ。
その本の巻頭のエッセイを村松友視さんが書いていた。
内容は地震にあったジャズ喫茶の主人との交誼の話だったが、
それが一関市のジャズ喫茶「ベイシー」の話だと知って、
ハッと閃いた。阿佐田哲也とジャズ…。
そうか、一関には日本一のジャズ喫茶「ベイシー」があるのだ。
阿佐田哲也が惹かれたのは一関市という地方都市ではなく、
そこでしか聴けないジャズの音色だったのではないかと思った。
これは私の勝手な思い込みで、的外れかも知れないが、
もし、そうだとしたら死ぬまで道楽に徹していたことになる。
遊侠ー阿佐田哲也――なんと贅沢な生き様であろうか…。


追伸
いまネットで調べたところ、
やはり転居の動機はジャズ喫茶「ベイシー」のようです。
というより、
阿佐田ファンなら誰でも知ってることらしい…恥(>_<)

現在、一関市で阿佐田哲也展が開催されてるようです。
http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/m/?p=403
http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/item_11367.html
連休は岩手まで行ってみるか…。
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メンバー百景(補填)

「メンバー百景」はストーリーが徐々に脇道に逸れてしまい、
本道に戻すには少々時間がかかりそうだ。
この麻雀譚の連作は過去の体験をアレンジして、
その都度叙情的なテーマのようなものを想定して書いてはいるが、
創作のためのプロットを立てるような面倒な作業はしていない。
だから記憶の糸を手繰りながら気侭に書き進めているうちに、
回想が新たな記憶を呼び覚まし、その追想がどんどん膨らんで、
阿弥陀クジの罫線を辿るように想わぬ方向に迷走をはじめる。
ネット検索でサイトからサイトへと渡り歩いているうちに、
いつの間にか目的とは関係の無い面白いサイトに踏み込んでしまい、
そこのデータに気を魅かれて読み漁ってしまうようなものだ。
想定した起承転結の川が途中で氾濫して流れが変わってしまう。
結びの無い尻切れトンボのような作品が多くなってしまうわけだ。
鞘から抜いた刀は納めなければならない…それは自覚している。
だが、別れた女と縁りを戻すような作業はどうにも面倒で…。

とりあえず、記憶に残る手抜き放置の尻を拭いておきます。

2006年のメンバー百景(F-1)での手抜き(古!)。

――確かに私は手牌を手元に伏せたままだった。
――そして、そこには寸毫も触れはしなかったのだが…

この続きの記事で書こうと思っていたけど放置した内容。
文章は面倒なので動画にした…(やっぱ手抜きだな…(>_<))

turi

手元に伏せていた手牌は十二枚だけで、
赤五萬は常に右手の掌中にあった…手品を使ったの。
小手返しの変形の空中マジック…吊りってやつ。
すり替えじゃなく先切りしたようなものだけど、
イカサマだと思われるから真似しちゃ駄目よ。怪我するから…。

あ、そうだ、いま思い出したよ、それが心配で書くのをやめたんだよ。

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自転卓

jidoutaku001

天羽礼からのクリスマス・プレゼントで~す。

これが欲しい方は………コピペで(>_<)

この自動卓の画像は写真ではありません。

例のオランダ生まれのブロンド娘を使って創ったCGです…<`ヘ´>

それにしても、初めての作品が麻雀の自動卓とは、我ながら情けない…(-_-;)

3Dのアニメとして動かしてみたら、光と影の動きがGOODだった。
しかし、ここにUPするには容量や解像度やもろもろの条件がある。
スムーズな動きを出すにはフレーム数を多くする必要があるのだが、
たかが一回転させるのに、ここの画像容量制限値の数倍の値になる。

GIF画像に変換してフレームを減らして500KB以下にしてみた。
なんとか観るに耐える状態にまで調整できたのでUPしてみたら…、
なんと、ここではモーションブラーが掛かってしまう…あれ~??(-_-;)

まあ、これはこれで、面白いからいいか…。

天羽礼作、モーションブラー『自転卓』…です。

jidoutakuanim

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メンバー百景(1-R)

またしても読みは外れた。
鳴いてくれるだろうと期待して切り出したカジノの話題――。
一点読みで狙って差し込んだ牌に声は掛からなかった。

唐突なカジノの話題に戸惑いの視線を向けるアイダに、
私は作り笑いをうかべて、それとなく店内を見渡してみせた。
客のいる複数の席からTVゲームの電子音が聞こえてくる。
この喫茶店も半数の席がゲーム機内臓のテーブル席なのだ。
ゲームに夢中になっている客を眺めて、なるほどと頷くアイダ。
この話は場当たりの只の世間話なのかと合点したようだ。

私は過去の記憶を辿りながら冷静さを取り戻していた。
たとえアイダとの接点が麻雀だったとしても、
弥生と知り合った頃の話であれば大丈夫だと思った。
あの頃はもう私達の仕事はカジノがメインであり、
雀荘で凌ぎをかけるような生活からは足を洗っていたはずだ。
勿論、足を洗ってからも麻雀は打っていた。
麻雀は歌舞伎町界隈で毎日のように打ってはいたが、
それは仕事を離れた遊びの麻雀でしかなかった。
その楽しい麻雀は今も変わらず続いているわけだが…。

アイダはコーヒーを口に運びながら、ふっと顔をもたげた。
「ゲーム機といえば、天羽さんも以前は、
ゲームの会社にいたんですよねぇ」
「え?」
「ピンボールとかスロットマシンの会社…。藤田さんの…」
「ああ、三喜通商ですね」
「そう、三喜通商…、たしか名刺をいただきましたが…」
あの社長さん、藤田さんとはまだ付き合いがあるのかと訊かれて、
一瞬返答に詰まった。

そうだ、あの頃の私はそんな会社の名刺も使っていたのだ。
名刺の肩書きは、たしか三喜通商の企画室長だったろうか。
あれはカジノを始めた頃に頼みもしないのに藤田が勝手に作って、
使ってくれと言って持ってきた名刺だった。
当時の私は仲間と創ったペーパー・カンパニーの名刺に、
実生活の通り名になっていた偽名を印刷して使っていたのだ。
そのへんの事情は部外者の藤田でも承知していたはずだったが、
なぜか彼が持ってきた名刺には私の本姓が印刷されていた。
苗字だけが本姓で下は通り名の偽名が印刷されている名刺。
その中途半端な装丁を見て訝る私に、
藤田は苦笑しながら理由を説明した。

藤田とは偽名を使うことなど想像もしなかった若い頃に出会い、
ずっと苗字に「さん」や「ちゃん」付けで呼びあっていたのだ。
その習慣が抜けず、私が偽名で通していた何年間かのあいだも、
彼はつい呼び慣れた本名で私を呼んでしまうことが多かった。
だから、彼の会社絡みの仕事で一緒に行動するような場面では、
苗字は本名でいいだろうというわけだ。
私は笑ってその提案を受け入れた。
もう偽名を使う必要もないと思っていた時期だったからだ。

三喜通商の藤田は30歳なかばで関西から流れてきた男で、
私が渋谷で遊んでいた学生時代に飲み屋で知り合った人物だった。
藤田は麻雀も酒も嗜む程度で決して溺れるようなことは無い。
私よりも一回り近く年長だったが、どこでも関西弁丸出しで、
愛想も人当りも良く、商売に熱心なおっちゃんだった。
商売に熱心といっても、出会った頃は定職もない遊び人のようで、
実際は何をして生計を立てているのかも判らなかったのだが、
やがてジュークボックスやピンボール、スロットマシンといった、
外国製の筐物遊具を扱う仕事を専門にするようになっていた。
藤田との付き合いは長いのだが、年齢の差もあって、
互いに着かず離れずのような不思議な関係が続いていたのだ。


実は私にカジノの開帳話を持ち込んできたのは彼だった。
ルーレットやバカラの台の出物があるからという売込みだった。
カジノバーを開きたいという顧客からの注文で取り寄せたのだが、
相手の勝手な都合で納品直前に話が流れてしまったのだという。
私は面白いと思い、仲間と相談して実行に移したわけだが、
藤田からの機材の買取りやリース契約の要請には応じなかった。
共同経営を打診して機材を無償で提供することを承諾させたのだ。
それから行動を共にするようになり名刺まで作っていたわけだ。
だがカジノの仕事は長くは続かなかった。というか続けなかった。
藤田も私達も互いに別の仕事に精を出すようになったからだ。
私達は自然と離れて行き、滅多に顔を合わすこともなくなった。

当時の藤田の会社は電話一台で商売をするペーパー会社だったが、
数年後には有限会社、そして株式会社の看板を掲げることになる。
後に㈱三喜通商はゲーム機の専門会社として大躍進を遂げるのだ。
藤田が早くから目をつけて手掛けていたコンピュータ・ゲーム、
ブロック崩しからインべーダ、フルーツ、ポーカーと続いた、
テーブル用TVゲームのブームに乗っての急成長だった。

私が藤田の消息を問うアイダへの返答に窮したのは、
実はこの頃――。
つまり三喜通商が表舞台で躍進を遂げようとしていたこの時期。
藤田という名前の社長はもう存在しなかったからだ。
半年程前に歌舞伎町で何年振りかで藤田と出遭っていた。
その時に彼が差し出した名刺には、
㈱三喜通商の代表取締役として別の名前が印刷されていた。
嘗ては藤田であった男が少しだけ含羞みながらも、
自慢気に出した本名の名刺を私は無言で頷いて受け取っていたのだ。
藤田という名が偽名であることは昔から知っていたような気がした。
彼は同名の顔の長い関西の喜劇役者にそっくりだったからだ。
もしかして藤田というのは彼の渾名かも知れないと思っていたのだ。
株式会社の登記上の戸籍名を刷った名刺を受け取ったときは、
やはりそうだったのかと内心ほくそ笑んだものだが、
偽名であれ本名であれ、友人としてはどうでも良いことだった。
私にとっては、詐称などは取るに足らない問題なのだが…。

さて、アイダには…。

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メンバー百景(1-Q)

盆という思いもよらない場所への言及に、私は一瞬息を呑んだ。
――盆仕立ての花会の場で会っていると言うのか…?
困惑の眼差しを露わに、アイダの顔を窺いながら、
過去に行き掛かりで足を運んだ花会の記憶を辿っていた。
だが――。
すぐに、有り得ないことだと気付いて苦笑が込み上げた。
私は赤坂の花会に出向いたことなど無かったからだ。
カジノならある。昔、赤坂のビルにあったカジノには、
仕事絡みで毎晩のように顔を出していた時期があったのだ。
しかし赤坂で盆の立場などには一度も足を運んだ覚えは無い。
「私、赤坂の筋には縁がありませんよ、たぶん人違いでしょう…」
そう答えてから、おかしいと気付いた。
相手は私の目の前で顔と名前を確認して話しているのだ。
人違いということはないだろう。
人違いでないとしたら、遇った場所を勘違いしているのか…?

アイダは意味深な微笑をうかべて微かに首を傾げた。
「弥生さんと一緒に…、何度かお目にかかっているのですが」
「弥生…?」
「銀座のクラブに勤めていた…」
「…!」 
思い出した。いや、アイダの素性ではない。
赤坂にあった『ボンボヤージ』という店のことを…。
カジノの客を連れた銀座のホステスとの待ち合わせ場所として、
使っていた深夜営業の小さなレストランだった。
私にとっては馴染みの薄い店だったが、
確かにホステスや常連客の大半が『ボンボヤージ』とは呼ばず、
『ボン』という略称で呼び慣らしていたような記憶があった。
「ボンって、ボンボヤージのことですか…?」
「ええ、あの後、あの店は私が譲り受けたんですが…」
あの後と言われても何の後なのか、私には判らなかった。
古い話で、ボンボヤージの記憶さえも定かではないのだ。

弥生というホステスがいたことは覚えていた。
当時、私達の仲間の一人が銀座のホステスと同棲していたのだが、
弥生はそのルミというホステスと同じクラブで働く同僚だった。
ラテン系のハーフのような顔立ちと長い黒髪が印象に残る、
フラメンコのダンサーのようなイメージの女だった。
そして実際に彼女の踊りのセンスには目を瞠るものがあったのだ。
知り合って間もない頃、ディスコクラブの喧騒の中で聞いた話では、
中学生の頃から原宿のホコテンに通って踊り狂っていたらしい。
あの『一世風靡』の前身として知られる竹の子族というやつだ。
高校生になってからは六本木や赤坂のディスコに通い詰め、
遊ぶ金が欲しくてキャバレーでアルバイトをしていたそうだが、
そこでスカウトされて銀座で働くようになったのだと言っていた。
しかし、弥生というホステスに関して私が知っていること、
覚えていることと言えば、まずそれ位のことでしかなかった。
その色香と容姿に食指が動かなかったと言えば嘘になるが、
あの時期、ホステスは仕事のパートナーとして接していたので、
銀座や新宿の名うての綺麗どころとの付き合いなどもあって、
一々接した女に現を抜かしていられる情況ではなかったのだ。

クラブのホステスをパートナーとしていたその仕事というのは、
仲間で新宿のマンションの一室にルーレットの台をセットして、
彼女達が引き込んだ客を相手に凌ぎを掛ける仕事だった。

しかし、弥生と関わった当時のことを色々と思い出してはみたが、
目の前のアイダとの接点はどうしても思い出せなかった。
ボンボヤージで弥生と一緒に私に会っているというのなら、
彼女が銀座のクラブから連れて来た客の一人だったのか…?

それならば特に問題は無いはずだ。麻雀でさえなければ…。
ルーレットでは、麻雀のような強引な手法は使っていない。
客を殺しに掛けるような阿漕なまねはしていなかったからだ。

私は安心すると同時にふっと我に返った。
「ボン」と言われて、どうして賭場だと思ってしまったのか。
相手の手の内が読めずに不安に駆られて考え過ぎている。
全てに神経を尖らせて慎重に構えているつもりが、
的外れのミスばかり犯していると気付いて可笑しくなった。
打ち出される捨て牌に逐一過敏に反応してしまうのは、
疑心暗鬼が生じていて場が見えていないということだ。
余計な思惑を捨て、冷静になって目の前の事実だけを観れば、
アイダの眼にも言葉にも、険は何処にも見当たらないのに…。

ウエイトレスがコーヒーを運んできてテーブルに並べた。
私は自分のコーヒーに砂糖を掬い入れながら、
もう、失念していることを素直に詫びてしまおうと思っていた。
思っていたのだが…、私の口を衝いて出た言葉は、
「最近は、カジノは流行らないようですね」
なんとも歯切れの悪い誘導尋問だった。
アイダはコーヒーカップに伸ばしていた手を一瞬止めて、
「カジノ…ですか?」
そのまま不思議そうな表情で訊き返してきた。
「ええ、そこいら中、ゲーム屋が増えてしまって…」
カジノの話題の手応えの無さに不安がかすめた。
アイダは、そういうことかと二三度大きく頷きながら、
「私は麻雀以外の賭け事はしないので、分かりませんが…」
「…!?」
――麻雀!? カジノの客では無かったのか…!?






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プロフィール

amou0

Author:amou0
H.N: 天羽 礼
年齢:知ってどうする?
職業:まとも、だから退屈で
   遊んでるようなもの
BT:AB型の二乗
生息地:深山幽谷&ネオン街
近況:迎えをまっている。
   出来れば天国から
   シースルーの羽衣の
   天女さまを希望…

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