**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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お祭りマンボ

ボクシングの亀田一家の反則事件に対する処分が決まったようだ。
試合後の一連の騒動のニュースにはまったく興味はなかったが、
過度の挑発行為や反則技を受けながら防衛を果たした後の、
チャンピオンの内藤選手のコメントの一言には感心した。
ほんの一瞬の前置き発言で、正確には覚えていないが、
亀田の態度をどう思うか…といった記者の質問に、
――亀田のおかげで僕の知名度も上がりましたから…
といった意味の答えをしていたのだ。
彼は現役のWBCフライ級世界チャンピオンだ。
世界チャンピオンだが18歳の挑戦者よりも知名度が低い。
私には彼のコメントがメディアに対する皮肉にも聞こえたが、
正直な気持ちだったのだろう。笑って答えていた。

一般大衆の大部分はボクシングの技術などに興味は無い。
世間が関心を示さない対象が脚光を浴びるはずもない。
マイナーな業界の話題をマスコミが取り上げるわけもない。

亀田一家への関心は、当初から一般家庭とはかけ離れた
独特の家族の絆や教育法といった特異な形態に対する、
茶の間の半野次馬的好奇心だったろう。
一家族が全員、リングという舞台での世界制覇を目指して、
一丸となって戦う異端の武闘流派への好奇の目だ。
風俗としてのファッションであり、一種の仇花ともいえる。
はやりに対しては、マスコミは一途に煽り、また扱下ろす。
その根底に現代社会の病巣が有るとか無いとかの論評は、
その道の学者や評論家の検証に委ねればよいことだが…。

事の是非、倫理の垣根を越えて眺めてみれば、
亀田一家の登場とこれまでのリングに於ける緒戦の成果は、
低迷するボクシング業界を活性化したのは紛れも無い事実だ。

今や時の人となったチャンピオン内藤の次回の防衛戦は、
TV局の中継権の争奪戦になっているという。
内藤選手は誰よりも心得ているようだ。
――亀田のおかげで…だ。


それを聞いて思い出した――。
阿佐田哲也の発言で心に残っている言葉がある。
いつ頃どんな記事で読んだのかは忘れてしまったが、
多分、麻雀プロ組織の創設時に陳べたコメントだと思う。

『麻雀プロの団体をプロレスのようにしたい…』

そんな発言をしているという記事を目にしたことがあった。
正直そのときは、
――何を言ってるんだ、このオッサンは…と思った。
私には麻雀とプロレスがどこで繋がるのか理解できなかった。

昔、TVが普及し始めた頃のプロレスは無類の人気番組だった。
私も幼少の頃、TVでプロレスを観て夢中になった少年だ。
外国人レスラーを相手に空手チョップで奮闘する力道山は、
大人も子供も日本中が憧れるヒーローだった。
しかし、次第にリングに漂うシナリオの臭いが鼻についてくる。
敵の攻撃技を進んで受けて倒れるようなレスラーの演技や、
サーカスのピエロのようなレフリーの茶番劇をみせられると、
田舎芝居を観ているような苛立ちを覚えるようになった。
熱しやすく冷めやすいという生来の悪癖もあったと思うが、
観るのが馬鹿馬鹿しくなり、すぐに嫌いになってしまった。

そんなプロレスと真剣勝負の麻雀に何の関連があるのか…。
連日連夜、盛り場で鎬を削って戦っていた麻雀打ちには、
およそ理解できるような話ではなかったのだが…。

麻雀打ちから足を洗い、ゲームを楽しめるようになってから、
阿佐田哲也の発言の真意が理解できた。
雀聖には透えていたのだと思う。
舞台の上で流行の舞を踊っているだけの自分達の姿が…。
麻雀のプロを売り物にすることの困難さと危うさが…。
麻雀打ちを職業とするプロの団体を立ち上げ担保するには、
プロレスのような興行の形態を採る以外にないだろうと…。

過去に於ける二度の麻雀ブームの起爆剤となったのは何か…。
一次は多くの著名文化人による麻雀賭博事件。
二次は一億総ギャンブル狂時代のプロギャンブラーの出現。
いずれも賭博に対する大衆の好奇心が引金となっている。
残念ながら社会的には決して健全な動機とはいえないのだ。

世論や流行、ブームといったものは押しなべてそういうものだ。

亀田一家に哀悼の意を捧げたい……。

ん?哀悼って…殺しちゃまずいか…
いや、ただのお悔やみですから…再起を祈って。


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麻雀小説作法

雀聖阿佐田哲也の小説に東が5枚無いと成立しない作品があります。
「街道筋のタッグチーム」という心理戦のチョット異質な作品ですが、
作者は脱稿後にその不合理なプロットに気付いたらしいのです。
しかし、整合性を重視して修正すると物語そのものに迫力が無くなる。
麻雀小説の闘牌場面を想定した構成の非常に難しいところです。

散々悩んだ末に、彼は雀聖としては大失態の恥になるであろうが
小説家として作品の醍醐味を損なうことは出来ないという結論を出した。
東が5枚無いと話の辻褄が合わないという麻雀小説を公開したのです。
追記として阿佐田哲也の詫び状を添えるというかたちで…

『実はお詫びしなければならないことがある。=中略=
 麻雀小説というもの、いうまでもなく娯楽読物の一奇種にすぎないが、
 まア評価は別にして申すと、存外に造り方がむずかしい。
 チャンバラなら、カッコよければかなり荒唐無稽でもなんとか読ませる。
 しかし麻雀小説は読者の大部分が麻雀マニアなので、理に沿いながら
 精通している人の眼を楽しませねばならない。
 うっかりするとこの作品のようにアンフェアーになる。=以下省略=』

麻雀小説作法の難しさを訴え弁解する直木賞作家の詫び状である。

実はこの作品を読んだ時、私は不覚にもその不合理に気付きませんでした。
気付かないほどイッキに読まされた面白い作品だったと思います。
未読の方は、阿佐田哲也の詫び状も合わせて一読を…

この怠惰醜悪ブログになぜこんな話を持ち出したかと言いますと、
出無精の私が愛読している数少ないブログの中の一つである
「東風戦メンバー戦記」の記事にチョットした気紛れで無粋な
コメントを入れてしまいました。
突っ込み処が多かったもので、つい遊んでしまったのです。
作者のモチーフは先刻承知でしたがプロットが甘いのでは…と。
決して不合理な作品ではありません。
五枚目の東に比べたらとても理にかなった作品です。
でも、違和感を覚えてしまった。多分、都合が良すぎると…
創作は作者の企図でいくら都合が良くても良いと思っています。
それを楽しめる魅力があれば…
今回も楽しめたのですが、お嬢さんの「欲ですよ~」が…多分。
それで意図せぬ迷惑をかけてしまったと後悔しているのです。

作者は麻雀コラムのライターであり、コミックの原作も始めたようです。
私は作者の麻雀人間模様を描いた哀愁漂う作品が大好きなのですが…
私同様、常々怠惰モノグサを売りにしている傾向がありますから、
麻雀物の作家として悪戦苦闘の日々が訪れるのではないかと案じています。
須田氏には東を6枚使っても気付かせぬような秀作を期待しています。
私は決して突っ込みませんから…はい、3回は我慢します。怠惰ですから…

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麻雀プロ事始

マスコミに「麻雀プロ」という奇妙な肩書きが登場するようになったのは、
第二次麻雀ブームのさなかの1970年前後からだと記憶します。

歴史を振り返ればわかることですが、過去二回の麻雀ブームは社会情勢や世相を反映した様々な要素が絡み合ってもたらされたものです。

戦後の麻雀ブームの誘因は、日本経済の高度成長にともなって一般市民の生活にもゆとりが生まれ娯楽としてのギャンブル熱が高まったことと、終戦直後に生まれたベビーブームの世代が社会人の仲間入りをして遊技人口が激増したことでしょう。

そして、最大の要因はTVや週刊誌といった新興メディアの影響です。
日本中が野球やゴルフに熱狂し、様々なギャンブルに夢中になっていました。
メディアはそのハヤリに飛びつき視聴率や出版部数のために煽りに煽ったのです。
ゴルフや競馬と並んで麻雀も雑誌の目玉記事となり、TVの深夜番組ではタレントや著名人の対局が頻繁に放映されて高視聴率をあげていました。

出版界では週刊誌に連載された阿佐田哲也の「麻雀放浪記」が爆発的な人気を博し
イカサマの技とそれを使うゴト師やバイ人の存在に好奇の目が向けられました。
流行や話題に敏感なメディアは彼等アウトローの世界にも触手を伸ばしたのです。

しかし、阿佐田哲也のように裏家業から足を洗い作家として活躍しているような人物ならまだしも、現役のプロ達は実際に麻雀賭博で生きている人間ですから、ヤクザや犯罪者と同様、気軽に表舞台に登場させるわけにはいきません。
初めの頃は顔を隠し名前を伏せ「裏プロのA氏」とか紹介していましたが、次第に麻雀を扱うメディアが増えてくると、彼等に対する世間の評価も変化してきました。胡散臭さは薄れ、麻雀を打って生活するギャンブラーとして、一種憧れの目で見るようになったわけです。

麻雀の専門誌が出版されると、彼等は一躍表舞台に引き上げられました。
紙面を飾る顔として、様々な対局のメンバーとして、生業を韜晦するために
「麻雀プロ」という意味不明な、しかし響きの良い奇妙な肩書きを与えられて…

「麻雀プロ」という呼称は元を糺せばアウトローを表舞台にあげるためにメディアが創作した苦肉の策のキャッチコピーに他なりません。
コピーは色々考えられました。
裏プロに始まり、麻雀評論家、麻雀タレント…etc

商標登録が無いキャッチコピーは誰でも自由に使用でき、どのような目的のために利用しても良いのでしょうが…
社会的に定義不能で誤解を招くような呼称は、社会的に存在意義を確立しようとする組織は使用すべきでは無いと、わたしは思うのですが…

現在、麻雀競技を主催する団体は5~6組織あるようですが、いずれも競技団体としての存在価値、発展の方向性にジレンマを抱いているようです。
その根底にあるのは「麻雀の専門家(プロ)の団体組織」という、捉え方によっては
非社会的で暴対法にも抵触しそうないい加減な組織創成です。
ブームの流れでメディアに煽られ砂上に楼閣を建てたが、さて建築許可は…
仕事も収益も計算できないまま新人を募集してみたが、さて身分の保障は…

私は個人的には射幸的ギャンブルとしての麻雀以外には興味はありませんが、
世間様に公示するような競技団体というのは麻雀愛好家によって組織され運営される同好会であるべきだと思っています。戦前の文化人による競技団体のように組織の理念として非ギャンブル非営利を掲げ、会費によって運営されるべきだと。
営利目的の麻雀業界とは一線を画すべきだとさえ思っています。

確かに麻雀の普及活動の手段としてはマスメディアの利用は効果的だと思います。
営利を目的とする関連業界に於いては尚更でしょう。
問題はその習性への対処です。
世論や流行に敏感であり雲集霧散を常道とする媒体には離反終息がつきものです。これはメディアの職性として当然の行動であり、非難すべきものではないでしょう。
メディアの仮設テント劇場で唄い踊ったタレント達が演劇集団を立ち上げた。
創成期の名優タレント達の業績は何はともあれ称えるべきだと思います。
その遺産である麻雀タレント養成学校に所属している若者達の多くが、
いつの日か晴れの舞台で脚光を浴びることができますようにと祈るばかりです。


おまけ…業界という観点から見て、麻雀と将棋囲碁の世界の大きな違いは…
    愛好家(サポータ)と業界依存生活者の比率です。
    貴方はどちらですか?

次回は多分 夜の訪問者(3) ビッグタレント登場です。

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アウトローとか

実は、麻雀新撰組時代の小島武夫御大との本人も覚えていないであろう新宿での一期一会の思い出話を書こうかと思っていたのですが…
麻雀クラブ・ドルフィンのスタッフ・ブログでトンキチさんがこのブログを
紹介しているのを知って、あれま?と思い急遽変更しました。
トンキチさんはこのブログはアウトロー、アウトローと連呼しているのですが
私としては、まだアウトロー的なことは何も書いてはいないつもりだったので…
うーん、コメント欄かな? それとも雀鬼効果か? 
いや、良いんですけどね、ワタクシ的には問題ないんです…特には。
自分の表現力というか筆力には常に懐疑的であり自信もありませんから。

そこで、アウトロー…Outlawですか…つまり無法者について一言。

結論から言うと私は人間の本性はアウトローだと思っているわけです。

法とは人間の社会秩序維持のための規範としての強制であり、摂理への抵抗です。
摂理とは自然界の秩序であり人間界にとっては不条理とされるような現実です。
私にとっての「流れ」という概念はこの摂理に基づく思考なのですが
今回はテーマが異なるので記述はまたの機会にいたします。
で、再度、くどくど法についての講釈。
法とは人間が人間として本来持っている欲望に対し、国家もしくはそれに準ずる
強権力が社会秩序を守る為に歯止めを掛ける規制のことです。
人間の基本五欲をはじめ、あらゆる欲望に臨機応変に枷を掛けるのが法律です。
本能で行動する動物に対する手枷足枷、猿轡、鉄格子のようなものですか…
例えが悪いかな…? まあいいや…

お分かりでしょうか… 
ギャンブルをするような人間がアウトローに魅かれるのではありません
本来アウトローである人間の本性がギャンブル体験を欲求するのです。
勝負事…射幸的ゲームの昂揚感に魅かれるのです。
射幸的欲望の実現は人間の本能の発露ですが反社会的な行為となります。
しかし、人間は反社会的な無法者として生きようとも生態は社会的動物です。
アウトローといえども所属母体の法は順守するような習性があります。
国家の法は無視するようなヤクザ者でも渡世上の掟は身体を張って守ります。
ギャンブルにもルールという法があり、その法を順守して戦うわけです。
そう考えると純然たるアウトローなどは存在しないような気がします。
いるとしたら、雀荘に入ってきても麻雀なんか打たないでしょう。
猟銃なんか振り回し、手っ取り早く
「どいつもこいつも金を出せッ!」
とか叫ぶに相違ありません…

歌舞伎町はアウトローという銘柄のタバコを吸う人種の喫煙室のような街です。
そこを生活の場としている人々は程度の差こそあれ、殆どがアウトローの香りと煙に馴染んでしまいます。
自分ではタバコを吸わなくても間接喫煙の被害は受けてしまうということです。
勿論、頑丈な防毒マスクを着けた、純然たる遵法者も沢山いるのですが、
喫煙室の中で嫌煙権を主張できるとは思えません。特に夜の街では…
深夜の歌舞伎町での商売は法規制から逃れることが仕事のような感があります。風営法など無きがごとく多くの店が手入れ覚悟で営業しています。
雀荘は殆ど24時間営業で……ん?
 みんなアウトローなのかぁ~?

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悪魔のシステム(2)レッド・ドラゴン


tyunm.gif業界顧問レッド・ドラゴンtyunm.gif
ハンニバル・レクター博士への独房いや、独占インタビュー

悪魔のシステムによる羊たちの境遇をどう思われますか?

悪魔のシステムなどと勝手なことを言って、我々をまるで吸血鬼や食人鬼のごとき悪徳経営者のように非難するが、それは筋違いというものだ。
いまの雀荘のシステムができたのは、元はといえばメンバーの希望というか要望というか、そういうものがあったから成立したわけで、我々経営者が一方的に強要したとかいうものでは無いのだ。

羊たちが自ら生贄になることを望んだというのですか?

さよう、自らの意志で鮮血を捧げるから我々はそれを容認したということだ。

容認って…?なにを…?どういうことですか?

君は麻雀をするのかね?

はい、大好きです。出来れば毎日でもやりたいのですが、女房がうるさくて…
いえ、時間はいいんです。亭主元気で留守が良いなんてずけずけ言うような女ですから、暇はあるんですが、なにしろ薄給で小遣いが少ないもので…


麻雀は小遣いが、つまり遊ぶ金が有るなら毎日、何時間でもやりたいと…

ええ、僕はこうみえて雀歴は結構長いんですよ。自分では下手だとは思わないんですが、なかなか勝てません…スロー・スターターなんですよ。エンジンがかかる前にサイフがパンクすることが多いんです。お金さえ続くなら絶対負けない自信があるんですが

それが答えだよ。羊たちの沈黙…も破られた。惨劇の幕開けだ。

はあ?

卓上で傷付いた羊たちは自らの足で刑場に向かうことを切望した。
「抜けたく無いです 自前でいいですから、打たせて下さい」
その要求を、我々が拒絶する必要がどこにあるというのかね?
我々はイエスのごとく慈悲深くその願いを聞き入れた。
それだけのことだ…
それが現在のメンバー制度のバイブルとなっているわけだ。

屁理屈では無いと思います。なにしろあのレクター博士ですから。


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プロフィール

amou0

Author:amou0
H.N: 天羽 礼
年齢:知ってどうする?
職業:まとも、だから退屈で
   遊んでるようなもの
BT:AB型の二乗
生息地:深山幽谷&ネオン街
近況:迎えをまっている。
   出来れば天国から
   シースルーの羽衣の
   天女さまを希望…

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