**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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麻雀の正解(6)後編

ー全開麻雀ー

配牌を取り終えたら王牌以外の山を全て開いてしまい、
手牌も山も見える状態でゲームをしたらどうなるか。

まあ結論からいえばーーつまらないの一言だ。
展開予測に終始することになるのだが、
情報過多で思考回路が混乱して神経衰弱になりかねない。

その部屋では雀卓として広めの炬燵板の裏を使っていたので、
山を二列に並べて開放するスペースは充分にあったのだが、
手牌も河も山も全部が色絵面の表向きという状態は、
視覚的に、とても手に負えるようなしろものではない。

正直なところ、お試しを…などと薦めはしないが、
一応、ゲームのキーポイントだけは説明しておこう。

卓上の牌が全部見える環境でゲームをすれば、
常に全員がどんな状況になるのかがわかってしまう。
山も自摸の流れも見え、誰が速いか遅いか、
どんな手でどんな展開になるのかも一目瞭然なのだ。
(実際はそんな生易しいものではないのだが…)

そこで、自分が和了るためにはどうすれば良いのかを考える。
先の展開―正解が見えるのだから、先の先まで考える。

全部見えていたらどんな選択になりどんな捨て牌になるのか。
いわゆる死にメンツを待っていても埒が開かないわけで、
当然、自摸筋に可能性のあるメンツに切り替える。

打ち手がミスを犯すとはどういう状況なのか。
鳴けばこうなる、鳴かないとああなる…
鳴かせれば、止めれば…
先々で相手に振込んでしまうといった結果も見える。
しかし振込みになる牌がわかるので回避することはできる。

全員がミスを犯さずに打ち抜いたらどういう結果になるのか。
自分が和了れないなら相手の和了を阻止することを考える。
他者の和了を阻止するにはどう打たなければならないのかを
四人がそれぞれ眼を凝らし、先を読んで必死に考えることになる。
三対一では、誰もが和了れずに流局することが極端に多くなる。

しかしどんなに努力をしても阻止できない展開もある。
巡目に関係なくどうしても誰かの和了になってしまう流れだ。

簡単に決着が着くか流局かのいずれかになることが多い。

競技者がどのように努力しても避けることができない結果。
それが「一局の正解」として与えられた究極のシナリオであり、
それ以外は自力他力の綾による人間業の結果に相違ないのだ。

全開麻雀はゲームというよりはパズルに近いものだった。
競技者は一局の正解に沿って打牌を選択しなければならない。
そこには手牌の構築に関しての定石らしきものなどは、
欠片も見出せはしない。意味が無いのだ。
まあ、麻雀とはいえないので当然といえば当然なのだが…

リーチは将棋の王手のようなもので90%和了を意味している。
(説明は省くが100%ではない)
他にも10秒ルール(思考時間)とか色々な決め事を創っていたが、
頭の回転の良さ、思考能力の優劣だけを競うようなゲームになる。
勝負は必然的に誰かのミスによって決着がつくことが多くなる。
だから互いのミスを期待するようなゲーム内容になってしまい、
相手の失策を咎めたり馬鹿にするような終局場面が頻発した。

発案者で将棋が得意だったK大生の○山君は好んでいたが、
他の者は頭が痛くなるだけで面白いと言う者はいなかった。
それはそうだ。IQテストが面白いわけは無いのだ。
麻雀は山も手牌も見えない方が楽なのだ。
見えないから面白いし、楽しい。
見えれば見えるほど複雑になり思考回路がパンクする。

みんながそっぽを向いたので直ぐにやらなくなってしまったが、
数々の変則ルールのプランナーである○山君。
次の提案は、
「ほな、手牌だけ見せんかったらええやろ?」
「そや、山を一列ずつ順に開いてくっちゅうのは…」

私の記憶が確かなら、関西の鉄工所の次男坊だったはず…
彼のその後の所在や職業は不明だが、
あの革新の意気、新進気鋭の精神…
企画畑の仕事に就いたなら確実に成功しているに違いない。

想えば、あの玄関にあった(革)印の白いヘルメットは、
彼のものだったのかも知れない…

浪花友あれ…、
いや、何はともあれ、
我々が代々木雀狂病棟の同窓だったことだけは間違いない。

私はその明るい病室への入退院を繰り返しながら、
やがて、その仲間とセットを組んで訪れた深夜営業の巣窟で、
地下室の隔離病棟に続く禁断の扉を開けてしまうのだが…
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麻雀の正解(6)前編

―オープン麻雀―

二十歳前後のある時期――
変わったルールの麻雀に興じていたことがあった。

当事の私は小田急線の参宮橋駅に近い友人のアパートで、
友達の輪のような仲間内の麻雀に明け暮れていた。

まだ、麻雀牌が質草になるほど貴重品だったころで、
その友人の部屋はそこに麻雀牌があるというだけで、
暇はあるがカネが無いといった学生たちが出入りする、
雀狂仲間の溜まり場になっていたのだ。

多いときには20人前後の仲間が出入りしていた。
ほとんどがノンポリで学生運動とは無縁のはずだったが、
なぜか(革)と印された白いヘルメットが一個だけ、
誰のものか判らないまま、
狭い玄関の隅に置き去りにされていた記憶がある。

夏の盛りにクーラーも無い部屋で全員がパンツ一丁になり、
流れる汗を拭きながらひたすら牌を掻きまぜていた。

仲間内では一応のレートを決めてはいたが、
みんなカネが無いから麻雀をするわけで、
勝ち負けの清算は集計表を兼ねた専用の大学ノートに、
日付と貸借の金額を記帳して済ますことが多かった。

メンバーの誰かにバイト料や仕送りなどの現金が入れば、
麻雀の清算よりも、まずその場の食料の調達に充てていた。
それから仲間内の貧民救済と清算に充てられるのが常だった。
何人かで同じバイトに就いて稼いでいたこともあった。
全員の小銭を寄せ集めてインスタント・ラーメンを買ってきては、
ひとつの鍋で回し食いをするのも当り前の習慣になっていた。

金が無くても、いつも陽気に笑いながら牌を叩いていた。
明日の生計の当てがなくても、何の不安もなかった。

戻れるものなら、あの頃に戻りたいと思う。
人生をやり直すためではない。
ただあの日々をもう一度…それだけのためだ。

そんな居心地の良い部屋でも、面子が揃わないこともある。
そんなときは人数に合わせていろいろな遊びを実践していた。
カードや花札で遊んだような記憶もあるが
やはり牌を使って遊ぶことが多かった。
サンマはもちろん、二人麻雀やトッパン(10,5)、牌ホンビキ、
二角取り、独り麻雀といったところだ。

相手がいない独り麻雀は遊びとしてはつまらない。
ひとりで山を積み四人分の手作りを試みるだけのことで、
独り芝居のままごと遊びのようなものだ。
捨て牌相と手牌の構成を考える一助にはなったと思うが、
それも基本的な牌理を理解する程度に過ぎなかった。
手積で全部の山を積む作業も面倒で、すぐに飽きてしまう。
だから独り麻雀は退屈な時間の暇つぶしでしかなかったのだ。

その下らない遊びの延長線上で、
「一局の正解」を意識するという発想が生まれたといえる。

きっかけは、四人リーチを流局なしのルールにしていたのと、
そのころ巷の雀荘で流行りだしていた、自摸宣言ルール、
いわゆるオープンリーチという新ルールの採用だった。

知っての通りオープンリーチは手牌の一部を公開して、
待ちを公表し、他家からの振込みを拒否するリーチだ。
私達はそのルールを取り入れてからというもの、
色々と新手のルールを考案して遊ぶようになったのだ。

元より、仲間内だけの面白半分のルールだったが――
まず、オープンリーチは手牌13枚全部を公開することにした。
その後、オープンリーチの後の追っ掛けリーチはすべて
オープンリーチにするという変則ルールが追加された。
その結果、リーチはほとんどオープンリーチになり、
複数で手牌を公開して戦うような局面が多くなった。

三人がオープンした場合、残りの一人も手牌を開いてしまう。

そして変則ルールは次第にエスカレートしていく。
配牌を取り終えた時点でそれぞれの手牌を全部表向きにして
始めから相手の手が見える状態で戦うことにしたのだ。
早い話が独り麻雀の手順を四人の闘牌で進めるようなものだ。
仲間内では「オープン(麻雀)」とよんでいた。
「オープンでやろう」といった具合だ。

リーチは当然オープンルールで、振込みは役満扱いになるが、
リーチ者の振込みは通常の支払いで済むことにしていた。

相手の手牌が見えれば仕掛けも押し引きも楽にできる。
単調なゲームになると思うだろうが…そうはいかない。

自分の手の内もガラス張りになっているのだ。
通常は出易いような牌でも止められて鳴くこともままならない。
混一色や対々形での早仕掛けは極端に不利になる。

筋の引っ掛けや河模様、地獄待ちの単騎やワンチャンスなどの
嵌め手好手も、手の内がガラス張りでは意味がない。

ダマ聴にしていてもリーチ者以外からの振込みは期待できない。

手作りも和了も自摸への依存度が異常に高い麻雀になるのだ。

そして一摸一打に相手三人の手牌を意識した選択を強いられる。
危険牌の先切り、面子の入れ替え、キー牌の処置など、
相手の牌姿が見えているためかえって難しい判断を迫られる。

この変則麻雀の醍醐味は聴牌直前の攻防、進退の綾にある。

お暇な方は仲間を誘ってこのルールで遊んでみれば良い。
牌の流れを見ながらの遊びは結構面白い。
一摸一打に笑えるような展開が続出するはずだが、
四人で戦うということがどういうことなのかが良く解る。
真剣に打てば麻雀の真髄に触れられる…かも知れない。

オープン麻雀は、全員が打ったわけではない。
四人が揃っていてこのような変則ルールで打ったのは、
それが好きなメンバーが揃ったときだけだった。
あとは、三人しか揃わず面子が足りないがサンマは嫌で、
四人麻雀の手順で打ちたいといった特殊な場合に限って、
このルールで打つことが多かった。

始めの頃は考え過ぎて疲れる麻雀だったが、
慣れるに従って楽な麻雀だとも思えるようになった。
要所を押さえながら、手詰りまで好きなように打てば良いのだ。
イヤでも見える場況によって、
各々の進退が必然的に決まってしまうからだ。

まあ、序盤から手詰りになることもあるわけだが…
進退の答えが解ってしまうと、もうつまらない。
普通の麻雀のオープンリーチでもよくあることだが、
役満の聴牌もオープンリーチの当たり牌を掴んだら、
否応なく降りなければならない。
振り込んだら終わりだから、それがゲームの正解だとしても、
なんとも不快なのだ。振り込みたいと思うことさえある。
勝負としては振り込んだほうがスッきりする。
待ちが見えて振り込みのない麻雀などつまらないのだ。
ゲームとしては味気なく、決して面白いとは思えない。

あるとき、中盤で四人が立て続けにリーチをかける展開となった。
四人リーチは流局無しのガチンコというキメだったので、
全員で、早い者勝ちのめくり勝負になったわけだが、
先は長い、いちいちツモっているのは面倒だから
残りの山を開けて誰の和了りが早いのか見てしまえ!
ということになった。

それから間もなく――
将棋が得意なK大生の○山君が真顔で新ルールを提案した。

「なあ、一度、テンから山を開けて打ってみいへんか?」 

麻雀は下手ではないが、引きが弱い男の要望だった。

それが全開麻雀を試みる切っ掛けになったのだ。


長いので、つづきは後編の―全開麻雀―で、

明日の午後9時にUPのタイマーセットにしておきます。

テーマ:麻雀 - ジャンル:ギャンブル

麻雀の正解(5義)など

『一局の正解』といった自前(?)の用語の説明には、
「運」や「流れ」のような現象表現を使わざるをえない。

通常ならば漠然としたイメージで問題はないだろうが
説明のための用語となれば、そうもいくまい。
誤解を避けるにはそれなりの定義づけが必要だろう。

しかし、それもまた私だけの定義であり自前の解釈でしかない。
前回、言葉の曖昧さについての話をだらだらと書き込んだのは、
同じ言葉でも自分と他人では解釈の仕方が違うのだということを
文章で再認識し、自戒ともしたかったからだ。
小難しい言葉をつかうと間主観性の考慮ですか…w
ようするに、相手への配慮が必要だということですね。

では改めて、当店の用語の能書きなんぞを。

「運」とは
巡り合わせの吉凶現象の意味で用います。
ときには吉祥現象のみを意味する場合もあります。
例…「運が無い」「運が向いてきた」「不運」など。

吉凶現象とは…辞書のままに…ではまずいのか…
現象とはカント(哲)先生流には、
「時間・空間や範疇的諸関係に規定されて現れているもので
 主観の構成が加味されたもの」となります。(広辞苑)
   
つまり、吉凶現象とは
「主観的に吉凶として捉えることができる外面的な表れ」
という意味です。「運」とはその巡り合わせの意味。

「ツキ」とは
良い巡り合わせ、幸運の意味で用います。

「流れ」とは
流動、変位、推移の意味で用います。
川の流れ、時の流れと同じ意味です。
  
が…
一般に麻雀で使われる「流れ」という表現は、
「運」の「流れ」という意味でしょうね。
つまり吉凶現象の動向や趨勢に関わる表現でしょう。

「流れ」が有るか無いかの論争が盛んなようですが、
「運の流れ」が争点ならば陳腐な設問でしょう。
ゲームには「流れ」は有るに決まっています。
無ければ必勝パターンがあるということになります。
そんなゲームはゲームの意味がありません。www

すみません、↑また遊んでしまいました。

木瓜の葉無しは挿しおいて…ん?誤変換?

ボケの話は差し置いて…  うん、これです。

すみません、↑↑またまた遊んでしまいました。

気乗りのしないつまらない作文だから、飽きちゃうのね。


論点は「運」に拘る因果関係の意味の「流れ」でしょうね。
因果Cause and effect.と連鎖反応 Chain reaction.

CHAIN REACTIONか…
そういえば昔、キアヌ・リーブス主演の
そんなタイトルの映画があったよなぁ。
確か、水素核融合エネルギー開発を題材にしたサスペンス。
TVの日曜洋画劇場かなにかで観たような気がする。
映画評論家の淀川長治さんはもう亡くなっていますねぇ。
「素敵ですねぇ『流れ』って本当に便利な言葉ですねぇ~、
 さよなら、さよなら、さよなら…」
え? 何ですと?! 淀川長治をご存じ無い? 

「お呼びで無い?こらまた失礼しました!」←植木等ネ

すみません、↑↑↑またまたまた遊んでしまいました。
ボケのCHAIN REACTION…ですねぇ。


え~と、そうか、「流れ」の有無の話ですね。
しかしですねぇ、吉凶や禍福現象への意味付け(認識)は、
観測者の主観の構成が加味されるわけですからねえ、
「運」にまつわる考察も当然人によって異なるわけで、
初めから共通認識を問うようなものではないわけです。
はい、わけの3乗なわけです…

納豆は美味な豆なのか、腐った食えない豆なのか…
美人の条件にデカパイ…いや身長や年齢や知性などを
入れるか入れないか…のような論争は面白いのですが、
ハナから認識の相違、見解の相違があるわけで…
え~と、芸人の名前は忘れてしまいましたが…
ほら、ギターを「ジャジャ、ジャーン!」と掻き鳴らして、
「……は自由だ~ッ!」と叫ぶピン芸人がいるでしょう、
私、あの方に一票。

確か「性格の不一致」でも離婚は成立するはずですよ。

運の流れ…吉凶現象に対する因果の認識というのは、
個々の感性によって養われる自業自得の知見であり、
俎上に載せて真偽を糺すような類のものではないでしょう。
ベジタリアンを焼肉屋に誘っても肉は食べない…
タイ人のホステスさんの頭を無闇に撫でたら怒られます!
フィリピン人のホステスさんに求婚されたら、まずは、
扶養家族の数と、離婚できる宗派かどうか確認すべきです。

他人様の嗜好や信条に有無はないし是非もないのです。

自得の経験則を頼りに進路を選択するのも信心なら、
所与の測定値を頼りに進路を選択するのも信心です。
鉛筆やサイコロを転がして決めるのもまた信心です。
麻雀はハナからサイコロを転がしますが…
確実なのはひとつだけ…
「一天地六に因果無し」…サイコロの出目に理由は無い。
しかし、
「自前の賽は振り易い」
    

ここで少しだけ、不本意ですが持論(観念論)的なものを…

私は自分でもストイックなタチだろうとは思いますが、
運命論者とか宿命論者ではありません。
楽しければ笑いますし、悲しければ泣きもします。
喜怒哀楽の感情が運命を疑うのです。
「喜樂」は不安を喚起しますが悩むことはありません。
「怒哀」が問題です。
「運」に対する考察は主に怒りと哀しみから生まれます。
自然界の摂理…人間界にとっての不条理への疑念が湧く。
理不尽だと思うのは不幸な結果に不満な時だけ…
賤民による、貧民のための、選民意識でしょうか?
人間とは身勝手な生き物です。
        
自然界の摂理ですが…
モノにはすべて「力」というものが働いているようです。
小難しいナンタラ学の話をするつもりはありませんが、
森羅万象、ミクロの世界からマクロの世界に至るまで、
万物は力のバランスによって成り立っているようです。
実体の無い精神世界といえども肉体に依存している以上、
パワー・バランス感覚に関しては例外ではないでしょう。

「力」は大きさと向きを有する量(ベクトル)で表されます。
動くとは、ベクトルのバランスが崩れるということです。
単純に川(水)の流れは高低差、主力はいわゆる重力です。
[重力の犯人(重力子?) は、いまだに不明のようですが…]
そこに浮かぶ木の葉にも重力や浮力や張力や…etc
血の一滴、脳細胞の一片、感覚世界にも力の作用が及ぶわけです。
因=力(ベクトル)の変化 果=動き(流れ)です。

「運」は主観によって構成される吉凶の巡り合わせです。

ならば、そこにかかる(かかっている)力とはなんなのか…
私にはその黒幕の正体を見極めることはできませんが、
ただ「運」はお金(市場)に似た動きをすると思っています。
その引力と斥力、偏倚と拡散、安定と変化に関しては
精神の表象と現象の磁場でテンションがかかっていると、
自分なりに勝手に解釈しているのです。
ゲーム…勝負の本質とはパワー・バランスの破壊です。
複雑系、ゆらぎ、相乗効果、循環といった展開要素から、
私は彼我のポジとネガの感性バランスの変動を画策します。
もちろん対運策は経験則(主観)であり、私の思い込みです。
ですからこの先何処かで、
私が「運」や「流れ」に関しての特異な記述とか、
なにか独自の因果律などを展開したとしても、
それで他人様に因果を含めるつもりは毛頭ありません。  
私の、私だけの感覚世界ですから…

「オカルト」とは 
もちろんOccult です。
原義は「隠された 神秘的な」という形容詞らしいので、
そのまま「神秘的なこと」という意味で用います。
ある自然現象に対する認識主観の一環でしょうから、
超自然とか非合理という解釈は釈然としないので、  
超常、背理、不合理なことの意味でいいでしょう。

「感性」とは…
済みませんが広辞苑で調べて下さい。
注意…感性の意味内容のすべては飽くまで感性界の範疇であり、
   可想界とは無縁ですから。

テーマ:麻雀 - ジャンル:ギャンブル

プロフィール

amou0

Author:amou0
H.N: 天羽 礼
年齢:知ってどうする?
職業:まとも、だから退屈で
   遊んでるようなもの
BT:AB型の二乗
生息地:深山幽谷&ネオン街
近況:迎えをまっている。
   出来れば天国から
   シースルーの羽衣の
   天女さまを希望…

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