**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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流転の牌譜(1)

プロフェッショナル考

昔、無頼の男これあり。日々麻雀を打ちて糊口を凌ぐ。
無為徒食の身なれば安住の地を得ず。放浪徘徊を常とす。
やがてその技、面妖なりとて衆人の忌避するところとなる。
人呼んで「ゴト師」「サマ師」「バイ人」「雀ゴロ」エトセトラ…
これ即ち「麻雀プロ」の原始なり。


昨今の「麻雀プロ」は雀荘に招待されて色紙まで求められると聞きましたが
今から半世紀前、1960年代のなかばまでは、麻雀のプロと名指しされれば
雀荘への出入りは断られ、周りからは白い目で見られるような存在でした。
麻雀をシノギにする、生業にできるということは、なにがしかのズルやゴマカシ、
イカサマをしていると判断されたわけです。

これは至極当然な理屈です。麻雀が常勝可能なゲームだとしたらそれは賭け事の対象としてのゲームにはなりえないからです。
麻雀はもとより、あらゆるギャンブルに対して必勝法を探求している方々がおられますが、私はその努力が無駄だとか無意味だとかは申しません。
ギャンブルについてなにがしかの感得にはなるはずですから。
しかし、結論は明白なのです。
世の中のありとあらゆるギャンブルには必勝法はありません。
もし、自分には必勝法があると言う方がいるとしたらその方にお訊ねしたい。
そのギャンブルはギャンブルとして成立するのですか?と…
強引に成立させたとして、そのギャンブルの必勝法を知っているあなたは
無知の方に対してズルをしていることになるのではありませんか?と…

ゲームに勝利の方程式つまり必勝法が存在し、それが解析されたときそのゲームはゲームとしての命を失うのです。当然ギャンブルの対象としての価値も…
ゴト師や詐欺師になろうというのでなければ、こんな単純明快な方程式が理解できないはずは無いと思うのですが…

賭け事で常勝しようと思えば、不確定事象を有利に確定させるためのなんらかの人為的技術の介入が必要になります。
ギャンブル用ゲームとしては人為的な要素を極力排除するのがベストですが
自然界の現象に任せるのでは単純さ冗長さに帰結する恨みがございます。
花は何時咲くか?雨は?柿は何時落ちるか?これではアクビが出ます。
カード、花札、カルタ、ダイス、牌、玉、ハンドル、手綱…etc
主たるギャンブルはいずれも人の手に依って短時間に事象確定がはかられます。
古今東西、その許された範囲の人為的技術の開発と習得に骨身を削り研鑽を重ねてきたのがプロフェッショナルと呼ばれる人々なわけです。
不確定要素の確定に可能な限りの人為的技術を加えて優位を得ようと努力する…
それが勝負事のプロと呼ばれる存在です。それでもなお常勝は不可能です。
イカサマといわれるプロの技は文字通り如何様ごとであり窮鼠死活の手段です。
演技ならまだしも実戦で使うには状況に会わせた尋常ならざる覚悟がいります。
手積の対局

以前、私は好感を抱いているさる団体所属のメンバーの方のブログで、
「プロは手積で対局すべきだ…」といった内容のコメントを入れたことがありましたが、今時の若い雀士の多くは「手積=イカサマ」といった短絡的な理解しか出来ないようなので無駄だと思いそのまま放置してしまいました。

記事の内容は配牌まで自動でセットしてくれる新型麻雀卓に関するものでしたが
あれは確か数十年前に既に登場していたはずで、私も使った経験があります。
この卓ならスイッチ一つで積み込みが出来るイカサマ用の麻雀卓に改造できる
などと考えてしまった記憶があるのです、配牌で大三元も可能だと。
実際コンピューター麻雀と同様に変造可能な仕様だったわけです。
ダイスを回すことも山を切る必要も無く配牌を確定できるのです。
機械に牌を選別させ、それを配牌として取り出せばいいのですから。

話がそれました。
私が手積の話を持ち出したのは、その道のプロならばプロとしての能力や修練が無駄にならないような麻雀の競技方法を構築すべきでは無いのかと言いたかったからなのです。
人間の力の影響を出来る限り体現できるような競技方法を確立すべきだと。

昨今流行しているらしい概念打ち、つまり確率的固定観念に頼って打つべきだという思考は、成否の結果は運まかせということです。
教えこめば誰でも打てる、ちょっと勉強すれば子供でも習得できそうです。
これが来たらこう、これを切るのが有利…一体何が有利だというのか
摸打の選択にマニュアル的解答を標榜してはばからないということは
競馬で本命を買い続ければいつか勝者になれると喧伝するようなものです。
いつかとは、いつのことなのか…設定は無限大のはずです。
麻雀を打たずに宝くじを買って眺めていたほうが良い…。
統計で過去に大当たりが沢山出ている売り場を選んで買えば良い…。
この概念打ちについてはいずれ項を改めて展開するつもりですが。

私が言いたかった手積での対局とは例えば以下のような手順です。
まず、136枚の牌をすべて表向きにして対局者全員が一定時間黙視する。
次に、全部裏返しにして、東家と西家が両手に一牌ずつ持って洗牌する。
同様に、南家と北家も交代して洗牌する。
そして伏せ牌で全員が一斉に山積にかかる。
迅速に粛々と…己の手で山を積み上げる。

対局者は全員同じ条件からのスタートになりますから問題は無いでしょう。
運10割のゲームに人間力の影響を僅かにでも加味するということです。
たとえ一個の牌でも記憶できてその所在を特定できたら立派なものです。
それがゲームの展開に与える影響は心理面も含めて強烈なものとなるのです。
たったこれだけの手順を加えるだけで、実戦麻雀打ちとしての技術と能力の差、経験と技量の差が確実に現れるはずです。そして精神の持ち様も。

次はどんな配牌が来るのか、自摸はなんだろう…といった受動的思考に支配された手ナリ選択麻雀に慣れてしまうことへの戒めです。
畏怖すべきは精神の拠り所としての意志志向の溶解です。
たとえ運を頼りの勝負でも戦いの場には意志をもって臨むべきです。
内なる意志に依っての選択には、迷い後悔失敗の文字はないのです。

それでも初心者の無手勝流に手も無く捻られるようであれば、
その方は即刻、麻雀から足を洗った方が良いと思います。
多分、麻雀打ちとしての素質に問題が有るのでしょうから…
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テーマ:麻雀 - ジャンル:ギャンブル

コメント

如何様

ボンクラ相手にやっているとだんだん相手を見下すようになります。仕事が粗くなってきます。「こんくらいでもわかりゃしないだろう」、そう舐めているわけですね。

ところがある日「目利き」が来ると状況は一変します。如何様博打の胴元に胴金などいくらも置いていませんから、ヒラの運否天賦で勝負をするわけにはいきません。メカ仕事ならサクラの数を増やせばどんな目利きも潰せますが、釣りや千切りではそうはいきません。手にべったり汗をかき、パームで仕込んだカードが掌に張り付いたりします。きっと麻雀牌も同じ状況になるのでしょう。相手によっては、そう簡単な覚悟でできるものではありませんね。

omoteura様

湯浴みに出かけた帰りに事務所に寄ってしまいました。
方向が悪かった…途中ですから。
歌舞伎町の友人達から呼び出しがありました。
待ってます、今回は50万いや70万でいいですから…って、
おふざけじゃありません…わたしを何だと思ってるのか、まったく
二三十万かっぱいで来ようかとも思いましたが、体力に問題がありそうで
いま、迷っております。

ギャンブルの場面では私達は自分の胴ですからリスクも当然でしたが、
預かりのような責任者としてのリスク負担はきついものがあったでしょうね
内に対しても外に対してもでは…やってらんない…
O氏はサラリーマンの中間管理職の悲壮感は解りそうですね…

ご無沙汰してます

私は「積み込み」なんてのはプロの技として認めます。ただし、美しくなければダメです。
各々が己の技術を磨く事で「プロ」と「素人」の境界を作るのは悪いとは思いません。

「素人」に遊ばれる「プロ」なんて世間が認めるはずがないじゃないですか。
それは「○○好きな人」でしかないですから…

子皮さま

オヒサです。
やはり手積というのはどうしても積み込みという感覚になりますか…
山積みの作業を人の手で行うというのは色んな意味で有効なんです。
コンピューターでの乱数取得であれ自動卓での牌のセットであれ、
牌の偏りは当然発生します。それが自然ですから
機械が作った運は受け入れるが、人間の手が入ったものは信じられないという感覚が可笑しいと思うわけです。機械は自然ではありません。
完璧な乱数とは何か?そんなものは存在しないということなんですが、
いずれプログラムの限界について何か記事にできたらと思っています。

自衛策として

「お互いに分かるからやらないんだよ。ってのは見る人に理解させる必要もあるのでは…。」と思っての発言です。

私の知人は、「こんなのは興を冷ますから、見つけたら手にフォークでも刺してやれ(^◇^)」って言ってましたけど(笑)

山を積む動作一つを取っても美しく感じる人がいる。
これは技術ですよね?

解りにくい表現をしてすみませんm(__)m

ちなみに、私は猜疑心が強いので人が作ったプログラムを全面的に信用する事が出来ません。
だって見えないから…(^^;)

子皮さま

手積と積み込みとは別物だと考えて下さい。
昔の麻雀は総て手積でした。牌を掻き混ぜながら表向きの牌は裏返して山を積み上げていたのです。
牌の在りかを覚えるのは積み込みではありません。全員が同じ条件ですから個人の能力です。多くの牌を覚えれば有利かもしれませんが、だからといって勝てるわけではありません。逆効果の場合もあります。
積み込みとは牌を選んで作為的に、あるパターンの山をつくることです。これも積んだからといって勝てるわけではありません。
イカサマについてはいずれまた…

美しいと感じる技…熟練の技には優美さが具わってくるのだと思います。

プログラム…仰る通り人間が作るものでありそれが限界だということですね。

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   出来れば天国から
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