**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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夜の訪問者(2)

私は超能力や霊感といった類のものを殊更に信じることはできない。
霊体験も無いし、UFOも見てはいない。超能力者には会ったことも無い。
それらの体験者がいてその存在を強く主張されれば
「そうですか、申し訳有りませんが、私は未体験なので…」と
丁寧にお答えするばかりである。
何がしかの反論をするような情熱さえも持ち合わせてはいない。

予感とか虫の知らせとかの結果論的情状反芻の経験は無きにしもあらずだが
それらとて、偶然という言葉を否定できるほどの確信も、実感もない。
幼年期にはSFや忍術使いの読み物に夢中になった記憶もあるが、
少年期にはリアリズムの忍者物やハードボイルド小説に魅かれていた。
物理や科学を好み、電気や電波とはなにかと真剣に悩む小学生だった。
やがて、見えないもの感覚的には未知なるものに関しては、そういうもの
としての定義を信じることにした。理解したと思い込む…妥協だろう。
私の眼には電気や空気の実体は今もなお見えない。
が、問われればその習性の公理原理を示し、見えているかのように説明する。
見えないものの正体を…

夜の訪問者(2)

それは…
三日四晩、80時間の不眠不休、断食状態での死闘の後に見えた世界だった。
それが現実なのか幻覚なのか…確かめる術が無い。
しかし、その時私は負けが嵩んで気が遠くなるようなどん底の状態から
一気にマクリ返すことができたのは確かなのだ。

序盤のつまずきから立ち直れず、ジリジリとサイフが軽くなっていく。
そんな蟻地獄に落ち込んだような展開が二日三晩にわたり続いていた。
私は最初に座った椅子から離れることが出来なかった。根が生えたように…
やがて持ち金も底を突き、店から何度もアウトを引いて打ち続けた。
私以外の客が何人入れ替わったのか、相手が誰だったかも覚えていない。
この店にはマスターの家族以外には従業員は一人しか居なかった。
麻雀を打てるのはマスターを入れて二人しか居ないのだが、二人で同じ卓に
入って打つようなことは滅多に無い。メンバーが足らなければマスターの電話
一本で駆けつける常連客が歌舞伎町内に大勢いたからだ。

三日目の昼頃だと思う…初日に大勝ちを拾った客の一人が再来した。
「え?天羽ちゃん、あのまんま、ずーっとかい?」
「コテンパンに叩かれて、ケツの毛まで抜かれてるよ…」
「ケツの毛よりも、顔色が変わってるよ、血の気が…」

私は三日間で三回目の代走を頼んで三度目のトイレにたった。
老廃物を絞り出したような飴色の小便に糸状の血の色が混じっていた。
そして、狭い洗面所の汚れた鏡を見て一瞬唖然としてしまった。
そこに映っていたのはいつかTVで観たミイラの顔そのものだった。
頬はこけ、眼窩が窪み、肌はどす黒く変色している。
とても自分の顔とは信じられなかったが、手を洗おうとしてまたゾッとした。
時計のバンドが空回りする。手首から腕にかけて一回り細くなっていたのだ。

休息を促す周りの人間を振り切って、私は再び卓に着いた。                 
牌が重い…湿った鉛のように重かった。
指先が燃えるように熱く、肩は強張り腕は軋み続けていた。

やがて、何時間か後に、何度目かの睡魔が襲ってきた。
が、瞼は開いたままで反応しない…神経が麻痺しているのか…
その時、頭の頂点からスーッと冷たい感触が降りてきた。
風呂の栓が抜けたように体中の熱い体液が足元から抜けていく感覚。
MRIスキャンの電磁波を体感するような冷たい水平感触だった。
それ以後、脳の思考回路が停止しているような感覚が続いた。
知覚は常にあった。が、意識が薄れているという状態だったと思う。
身体も私の意志が及ばない所で動いているような気がした…

そして、あの玄妙の次元を体験したのだ。
牌が透けて見えるとか、相手の手牌が判るとかではない。
推理とか戦略とかいった思考が働くわけでもない。
無意識のうちに、ただわかるのだ… 目先の展開が…  
私以外の私…未知の感覚が、思考を停止した私の意識を支配していた。
時間の経過が緩慢になり、摸打も緩やかに淡々と実行される。
手牌の構築や打牌の選択は結果オーライの形で進行するのだ。
振込みさえも、最終結果として最良の選択になるという不思議の世界…

私は暗黒の深海から蘇生した。鉛の錘を捨てたダイバーのように…
その後の記憶は途切れ途切れだが、店への借財を返してからも愛用のクロコの
財布がネズミを呑んだ蛇のように膨らんでいたのを覚えている。
それからどのようにして帰宅したのかも覚えていないのだが
自室のベットで目覚めたのは更に一両日後の昼だった。

このときの体験は、すでに私の中では幻覚なのだとして処理されている。
その後も何度も挑戦を試みたが、二度と同じ体験はできなかった…
人間の脳はその数パーセントしか稼動していないといわれている。
未知の領域がどんな力を秘めているのか不明だが、火事場の馬鹿力であれ
胸騒ぎの予感であれ、理不尽で未体験なものを私は認知できない。
しかし、密教の行者やヨガ仙人の修行が何を根拠に行われているのか…
私は断食や荒行によってみえてくる世界があることを否定はできないのだ。
たとえそれが幻覚であろうとも…

三日三晩…その日も不眠不休で牌を叩いていた。
すでに意識が朦朧として、昼夜の判断もつかなくなっていた。
その時、背後でドアの軋む音がして冷たい外気が流れ込んできた。

…つづく















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コメント

偶然

私なんかは麻雀を打っててリーチをかける時に、「これはツモれる(又はアガれない)よ」とか、追っかけられた時に、「これは勝つ(又は負ける)よ」とか、言う事があるのですが、山を読んだり相手の手を読んでる訳ではなく(そんな高度な知能は持ちません(^^;))、なんとなくそう思うだけなので、やはり偶然でしょうね。

「違う」と言っても、それを他人に説明出来るだけの知能も無いですしね(笑)

子皮さま

予感とか閃きとかは人間ならだれでもが感じることだと思うのですが
まだ非論理的なもの、まだ根拠が無いものを偶然として処理するのは
人間が生命体として生きるための知恵だと思っています。

科学は森羅万象を人間の思考枠に捕りこもうとする学問でしょう。
捕りこめたと思い込んだ時点で公理原理として認識されるわけです。
しかし、それで変化するのは人間の認識であって、
自然宇宙の摂理が変わるわけではありません。
どんなものも無いものが出現するわけではなく、
在ったものが発見、認識されるだけのことです。

アインシュタインの言うように「神はサイコロを振らない」のであれば
科学の発展は人間の生きる意欲を失わせることになると思います。

人間が無条件不可避の死を理解しながら、なお生きることができるのは
未来が明日が一寸先が不可知で不条理の世界だと信じているからでしょう。
希望願望欲望…望みや期待は生命力の源泉だと思います。
その重要なファクターを失うということですから…未知の方がいいです。

変なレスになってしまいました。済みません<m(__)m>

勝負どきの「勘」って、得体が知れなくて興奮しますよね。
正体を知りたいけど知ったら絶対につまらなくなる…
縁起を担ぐような楽しみも無くなるし…

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