**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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融手

読者様には申し訳ないと思っておりますが、
成り行きでミクシイなんぞを始めてしまったもので、
このブログもほとんど開く気にはならないという、
今日この頃でございます…はい。

で、8月のUPなしというのもみっともないので、
以前に書いてボツにした記事などを……、
まぁ、融通手形のつもりでUPしておきます。

チョット感情的で長いので、お暇な方のみ続きをどうぞ…




麻雀はゼロサムの対戦ゲームだ。
勝者と敗者はワンセットで同時に発生することになり、
結果としての運の良し悪しは相対的に決まる。
だから卓上の運の総量は常に±0だと考えることもできる。
その意味では単純に点棒やチップの動きだけを見て、
その場の運の象徴とすることも可能だろう。

が、麻雀は四人で戦うゲームだ。
運の良否の判断は四人の相関関係を踏まえた主観的総括となる。

勝負の結果と運は必ずしも同期するものではないということです。
一人の凶事が他の全員にとっての吉事になるとは限らないから。
その逆もまた然り…一人の福が他の全員の禍になるとは限らない。
つまり、麻雀に於ける運の動向、ツキ不ヅキの判断は、
見た目の損得勘定だけでは計れないということです。

例を挙げるまでもないと思うが、
他力によっての順位の変動や安手に放銃されての役満逃しなど、
誰が吉で誰が凶なのか、表面だけでは判断できない事例などは、
数え上げればきりが無い。
と言うよりも、それが麻雀というゲームの要諦なのだ。
場により人によって一局への対応は千変万化の様相を呈する。
対局者の順位に対する意識の違いだけでも展開は激変する。
四人による三対一の戦いという設定が織り成す妙諦だ。

だいぶ前にも触れたが、四人と三対一という戦いの意味を
真に理解している雀士はそう多くは無いと私は思っている。
その根拠は守戦に長けた打ち手が少ないということだ。
守戦とは、いわゆる回し打ちやベタオリのことではない。
それらは敵の先制攻撃に対しての折々の対処法であり、
麻雀では誰でもやる放銃回避のため常套手段だ。

自分一人だけの進退で大局を制せるなら楽なゲームだと思うが…。
ベタオリも四人による多局戦だから使える戦法なわけで、
一局勝負ならギブアップの白旗を揚げたということになる。

私の言う守戦とは敵の台頭を阻止するための抵抗戦を意味する。
先手を獲った者を独走させないための戦いだ。

リーチの一発消しの鳴きなどは誰でも試みるだろうが、
戦法としての考え方は同系といえるかもしれない。
ただし、一発を消すためだけの鳴きであればあまり意味が無い。
一発を必要条件に入れてリーチをかけることなど少ないからだ。
一発の一飜は裏ドラ同様、有ればラッキーというだけのことで、
機会を消されたとしてもたいしたダメージにはならないのだ。
常に僥倖期待の麻雀を打っている相手なら多少は堪えるかも知れぬが…
逆に、安易な鳴きの結果でツモられたらミスの印象が際立ってしまう。
鳴きは攻防の手段、ツモの流れを変える意識がなければ功がない。

守戦は戦線離脱の撤退ではなく、ゲリラ戦のようなものだ。
自力で阻止できないなら他者の安手に差し込んでしまうといった戦い。
他者にキー牌を鳴かせ、ガチンコ勝負をさせるような戦い。
攻勢を阻止するためにノミ手で果敢に向かっていく戦い。
或は、役満を聴牌しても迷わず降りてしまうような戦い方だ。

私などは大局観で一局の初手から守戦を試みる場合もある。
運の動向を意識した上で成就させるような打法になるが、
ここで詳しく説明する気はさらさら無い。できるとも思わない。
たぶん巧者の手による戦術書などでは多少は触れているかもしれない。
漁ってみるのもいいが、本を読んで身に着くようなものではない。
私としては説明すること自体が無駄な作業だろうと思っている。

一対一の戦いならまだしも三人を相手の四つ巴の戦いで、
敵の立ち位置も間合いも測らない、測れないような感性では、
運の差配を意図した太刀捌きなど理解できるわけが無いのだ。
意味不明がオチだろう。それで良い。
それが紛れも無い、自分自身の立ち位置なのだから。

麻雀に於ける争点とは何か? 人事とは何なのか?

およそ競技と呼ばれるものは、
すべて人間に関わる何らかの能力を競う目的で作られる。
人間の能力には格差があるという前提があってのことだ。
だから競技は可能な限り平等な条件を設定して開始される。

たとえ選択による運だけで勝敗を決するようなゲームでも、
選択肢は同じものを同じ数だけ与えられるのが常識だ。

しかし麻雀は違う、まずは運の配当からスタートする。
平等な条件を否定することから始めるわけだ。
そしてその後の選択はすべて与えられた状況への対応に終始する。
勝敗を決するための意志選択の機会は丁半博打ほども無い。
必要なのは連続的に変化する場況を一瞬で把握できる鋭い洞察力と
多極応変の選択を瞬時に決断できる冷静な判断力だ。
麻雀が展開の禍福の綾で勝敗を決するゲームである以上、
そこで最終的に競われるのは場に対する感性の能力だろう。

万巻の兵法書を読破し、拝領の宝刀に打粉を当てて眺めていても、
いざ実戦となれば生兵法、矛と盾の論理が役に立つとは思えない。

戦線というのは常に敵前であり、不測が故に実戦なのだ。
供給された武器弾薬が通用するのか、前進か迂回か撤退か、
一局の、いや、一摸一打の動静で戦況は目まぐるしく変転する。
その瞬間では正解の一打も一巡回れば不正解にもなるのが麻雀だ。
どんな些細な選択もすべてその場の状況によって決せられる。
当り前だろう、それ以外にどんな答えがあるというのか?
「事件は現場で起きているんだッ!」
ん?…青島刑事のセリフか? 
あああぁ~湾岸署のガサ入れですかぁ~?!!!

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