**麻雀蒐穂録**

マージャンとはギャンブルとはゲームとは…そしてプロとは…!

遠い昔、歌舞伎町のけもの道を徘徊していた 畏怖るべきアウトロー達との交遊を
途切れた記憶の糸を紡ぎながら回顧録まがいに書き起こそうと思います。

 ※実体験以外に風聞や創作も加味するつもりです。フィクションとしてお読み下さい。

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メンバー百景(1-R)

またしても読みは外れた。
鳴いてくれるだろうと期待して切り出したカジノの話題――。
一点読みで狙って差し込んだ牌に声は掛からなかった。

唐突なカジノの話題に戸惑いの視線を向けるアイダに、
私は作り笑いをうかべて、それとなく店内を見渡してみせた。
客のいる複数の席からTVゲームの電子音が聞こえてくる。
この喫茶店も半数の席がゲーム機内臓のテーブル席なのだ。
ゲームに夢中になっている客を眺めて、なるほどと頷くアイダ。
この話は場当たりの只の世間話なのかと合点したようだ。

私は過去の記憶を辿りながら冷静さを取り戻していた。
たとえアイダとの接点が麻雀だったとしても、
弥生と知り合った頃の話であれば大丈夫だと思った。
あの頃はもう私達の仕事はカジノがメインであり、
雀荘で凌ぎをかけるような生活からは足を洗っていたはずだ。
勿論、足を洗ってからも麻雀は打っていた。
麻雀は歌舞伎町界隈で毎日のように打ってはいたが、
それは仕事を離れた遊びの麻雀でしかなかった。
その楽しい麻雀は今も変わらず続いているわけだが…。

アイダはコーヒーを口に運びながら、ふっと顔をもたげた。
「ゲーム機といえば、天羽さんも以前は、
ゲームの会社にいたんですよねぇ」
「え?」
「ピンボールとかスロットマシンの会社…。藤田さんの…」
「ああ、三喜通商ですね」
「そう、三喜通商…、たしか名刺をいただきましたが…」
あの社長さん、藤田さんとはまだ付き合いがあるのかと訊かれて、
一瞬返答に詰まった。

そうだ、あの頃の私はそんな会社の名刺も使っていたのだ。
名刺の肩書きは、たしか三喜通商の企画室長だったろうか。
あれはカジノを始めた頃に頼みもしないのに藤田が勝手に作って、
使ってくれと言って持ってきた名刺だった。
当時の私は仲間と創ったペーパー・カンパニーの名刺に、
実生活の通り名になっていた偽名を印刷して使っていたのだ。
そのへんの事情は部外者の藤田でも承知していたはずだったが、
なぜか彼が持ってきた名刺には私の本姓が印刷されていた。
苗字だけが本姓で下は通り名の偽名が印刷されている名刺。
その中途半端な装丁を見て訝る私に、
藤田は苦笑しながら理由を説明した。

藤田とは偽名を使うことなど想像もしなかった若い頃に出会い、
ずっと苗字に「さん」や「ちゃん」付けで呼びあっていたのだ。
その習慣が抜けず、私が偽名で通していた何年間かのあいだも、
彼はつい呼び慣れた本名で私を呼んでしまうことが多かった。
だから、彼の会社絡みの仕事で一緒に行動するような場面では、
苗字は本名でいいだろうというわけだ。
私は笑ってその提案を受け入れた。
もう偽名を使う必要もないと思っていた時期だったからだ。

三喜通商の藤田は30歳なかばで関西から流れてきた男で、
私が渋谷で遊んでいた学生時代に飲み屋で知り合った人物だった。
藤田は麻雀も酒も嗜む程度で決して溺れるようなことは無い。
私よりも一回り近く年長だったが、どこでも関西弁丸出しで、
愛想も人当りも良く、商売に熱心なおっちゃんだった。
商売に熱心といっても、出会った頃は定職もない遊び人のようで、
実際は何をして生計を立てているのかも判らなかったのだが、
やがてジュークボックスやピンボール、スロットマシンといった、
外国製の筐物遊具を扱う仕事を専門にするようになっていた。
藤田との付き合いは長いのだが、年齢の差もあって、
互いに着かず離れずのような不思議な関係が続いていたのだ。


実は私にカジノの開帳話を持ち込んできたのは彼だった。
ルーレットやバカラの台の出物があるからという売込みだった。
カジノバーを開きたいという顧客からの注文で取り寄せたのだが、
相手の勝手な都合で納品直前に話が流れてしまったのだという。
私は面白いと思い、仲間と相談して実行に移したわけだが、
藤田からの機材の買取りやリース契約の要請には応じなかった。
共同経営を打診して機材を無償で提供することを承諾させたのだ。
それから行動を共にするようになり名刺まで作っていたわけだ。
だがカジノの仕事は長くは続かなかった。というか続けなかった。
藤田も私達も互いに別の仕事に精を出すようになったからだ。
私達は自然と離れて行き、滅多に顔を合わすこともなくなった。

当時の藤田の会社は電話一台で商売をするペーパー会社だったが、
数年後には有限会社、そして株式会社の看板を掲げることになる。
後に㈱三喜通商はゲーム機の専門会社として大躍進を遂げるのだ。
藤田が早くから目をつけて手掛けていたコンピュータ・ゲーム、
ブロック崩しからインべーダ、フルーツ、ポーカーと続いた、
テーブル用TVゲームのブームに乗っての急成長だった。

私が藤田の消息を問うアイダへの返答に窮したのは、
実はこの頃――。
つまり三喜通商が表舞台で躍進を遂げようとしていたこの時期。
藤田という名前の社長はもう存在しなかったからだ。
半年程前に歌舞伎町で何年振りかで藤田と出遭っていた。
その時に彼が差し出した名刺には、
㈱三喜通商の代表取締役として別の名前が印刷されていた。
嘗ては藤田であった男が少しだけ含羞みながらも、
自慢気に出した本名の名刺を私は無言で頷いて受け取っていたのだ。
藤田という名が偽名であることは昔から知っていたような気がした。
彼は同名の顔の長い関西の喜劇役者にそっくりだったからだ。
もしかして藤田というのは彼の渾名かも知れないと思っていたのだ。
株式会社の登記上の戸籍名を刷った名刺を受け取ったときは、
やはりそうだったのかと内心ほくそ笑んだものだが、
偽名であれ本名であれ、友人としてはどうでも良いことだった。
私にとっては、詐称などは取るに足らない問題なのだが…。

さて、アイダには…。
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